銭湯とは、今も昔も変わらない商売だ。お湯を沸かしてお客様から風呂代をいただく。一見、きわめて単純。しかし、その番台からは、高齢化や核家族化という社会の縮図が見えてくる。

戦後の復興期、まだ内風呂のない家々から、お昼にはご隠居さんが、夕方には赤ちゃんを連れたお母さんが、夜には仕事を終えたお父さんが、銭湯に集まった。一日中、賑やかな社交場のようだった。ひょっとしたら、銭湯にとって一番幸せな時代だったかもしれない。未来は確実に良くなるという希望が、湯船にキラキラと浮かんでいた。

高度成長期、内風呂が普及するにつれ、赤ちゃんの声が消え、ご隠居さんの足が遠のき、そして今、銭湯には閑古鳥が鳴く。

そんな中、福井で創業七十八年になる「たきのゆ」の三代目が後を継いだ。 一面の桃畑だった福井市のはずれに開湯した祖父母、二代目の両親のもくもくと働く姿を見て育った三代目だが実際「その時」は来てみるまで実感がなかった。
元々、覚悟だけはあった。長男の自分がいずれ跡を継ぐんだろうな、という。けれど、勉強そっちのけで、スポーツに明け暮れ、大手建設機械メーカーに就職した彼にとって、父が突然、新潟での新婚家庭に現れるまでは、遠い話だった。

このままではジリ貧になる、という強烈な危機感に背中を押され、銭湯新築のプランを持って父は訪ねてきた。

「う〜ん・・・・・よし!」

負けず嫌いの三代目は、納得いくまで図面を手直し、銭湯大型化に着手。当初は評判になり売上も倍増した。

しかしやがて、「ふるさと創生事業」による箱ものが乱立。スーパー銭湯もあちこちにでき、気がつくと、小さな銭湯同志で入浴客の取り合いになっていた。  三代目はふと考えた。施設さえ良くすればお客さんは来てくれるのか?と。

小さい頃、父母が懸命に切り盛りした銭湯は、決して広くも、豪華でもなかった。でも、そこには、店主とお客さん、お客さん同士の温かい触れ合いがあった。確実に、銭湯は世代を越えた「町のふれあいの場」として存在していた。

三代目は、考えた。人と人のつながりが薄くなった今だからこそ、温かいお湯で身も心もほぐれる銭湯は、地域を結び直す「ご縁の場」になれるのではないか?と。

よし、「たきのゆ」の目指す所が決まった。派手でなくていい。スーパーヒーローもいなくていい。ただ“誰かと誰か” が出会い、“何かが始まる場所” でいよう。心と身体が疲れたら、「カラダが3℃、ココロが10℃温まる銭湯」へ、入りに来てもらおう。

今日も番台に座る彼の耳に、祖父の言葉がよみがえる。

「なぁ、ター坊、風呂屋にとって一番大切なのはな、風呂代をもらうことじゃないぞ。疲れた顔がほっこりゆるんで『あ〜、いいお湯だったわ〜、気持ちよかったわのぉ〜』って言葉をもらうことなんや。よう覚えとき」。さあ、今日も元気の出るお湯を沸かそうか。きっと、祖父も雲の上で喜んでくれているはずだ。